くなったことは事実

踏雪寻梅

2022年08月12日 16:28

母は身体は病気ではないが、自立生活ができなくなったことは事実だ。
認知症も病気だとすると、老いや病気と向き合いながら、共に生きていかなければならない。
だが、自立できる、できないの、線引きをどこでするかが重要なキーポイントとなる。
自分による判断と、客観的判断は違う。
まだまだ元気なのに、収監されるかのごとく、老人ホームに入れられるとなると、姥捨山発言も出るだろうDermes 脫毛
自ら、姥捨山に出向く人は少ないと思う。
しかも、荷物は少なく最小限。それは、優等生。

お高いホームだと、長生きしすぎると、費用を払えなくなる。
想定内期間中にあの世に行かないと、その後、どうする???
皆さん、どうされているのだろう。
入るは良いが、出られないのではなく、入り続けられない。
かなり余裕の資金を用意しなければならない。
人生100年、105歳、108歳まで生きたら、老人ホームの費用が100歳までしか用意してなかったら、、、?
長生きすることを考えて、資金力に見合った所に入らなければならない助聽器比較
老人ホーム運営会社が倒産することもありえる。
子供に、もろに迷惑をかけることになる。
理想はあくまでも理想で、そう心がけていれば、きっと積み重ねが良い展開を招くかも知れない。
楽観視。

が、生きている間の費用でさえ不安があるのに、意識が曖昧の状態期間の分の費用まで用意できるのか?
なるようになる、と、子供に頼る?
子供がいない人は?

人生を、満開に、、、、どうやって?
ツッコミを入れていては、広告、宣伝にならない。
不安を煽ってはいけない。
しかし、万が一の、生き続ける自分をどのように設計しているのだろう?

わたしの知人で、親御さんを早く亡くした人は、悲しみに暮れておられる。
親御さんが、延々と健康で生きておられる方は素晴らしい。
経費がかかる所で、延々と生きておられる人は?
入所当時、母は費用のことばかりを気にしていた。払えるのかと。
面会に行っても、こんなところで遊んでいてはいけない、と席を何度も立とうとする。
それも認知症の一種なのだが、認知症は現実を理解しないことだとすると、費用が気になるのは認知症ではないのかも知れない。
お金にはシビア。

まあ豊かな老後、、、理想と現実はギャップもいろいろあるが、ただでさえ老化を受け入れるのはハードなのに、今だけでなく、先々のことをくよくよしていては老人鬱になってしまう。
とりあえず、今日一日は楽しく、明日も楽しく、、、少し右肩下りでも、そこそこそれが続けばいい空氣淨化抽濕機

と、無理矢理、着地。
今日も無理矢理感、ありあり。
最近、どうも、納得の結論に辿り着けず、スッキリしない。
何期目かの、もやもやのお年頃か。