ら逃れることも出来るだ

結婚以外に自分のアイデンティティを見出し、結婚は自分のアイテムのひとつであるのもよし。
アイテムから外すのもよし。
結婚は、全てではない。
5歳のわたしは、結婚から外れた自分を想定していなかったから、選択肢は少なかった英國買樓
しかし、無いわけではなかった。
自らの意思で、泥船から沈没船に乗り移っただけである。
泥船はどうしようもないが、沈没船は泥船よりはマシ。
起死回生を掛けて、苦心、工夫して沈没から逃れることも出来るだろう。

自分の人生は、自分でどうにかしなければならない。
(究極の死活問題でもない限り)、人に頼ったり、人のせいにしたり出来ない。
仮に最悪だったとすると、それは運命、宿命みたいなものだから、抗おうとしないほうがいい。
もがくと、益々、悪い方向に進む。
(こころの病気になり悪化する人もいる)
じっとして時を待つ。
明けない夜はないが、地球の位置によっては明けない夜ばかりの地域もある?
それはそれ。
引っ越しするなり、その地で生涯を終えるなり、なんらかの動きがあるだろう。
動かないという動きはない。
自分は動かなくても、周りは動いている天幕 帳篷
動かないまま、時間は動いている。
じっと止まったまま時間は経過しているので、時が止まったままということはない。
たんなる比喩表現である。

「朽ち果てる」という時の進み方もある。
どこかの国の超お偉いさんのように、死後も永遠にプリザーブド?フラワーのごとくまるで生きているかのような姿のまま、国民や訪れる人に姿を見せることもある。
銅像より、よりリアル。
昆虫採集の見本のようでもあるが、いくつもの虫をピンで留めているモノとは、扱いが全く違う。当たり前。

生きモノとしてではなく、語り継がれる、という伝達方法もある。
これは、後に書き変えられることもあるし、時代によって受け取り方や解釈が違うこともある。

何しろ、本人は止まったままでそこでジ?エンドでも、時代は動く。
朽ち果てようが、永遠に語り継がれようが、本人としては終わっても、周りは動く。
うーん、、、脱線ばかりして戻って来れない、、、で、わたしが何が言いたいのか、、、と考えてみる。
広義の意味で無常であるということ。

いつも色々考えていると最終的に「無常」の心境に辿り着く。
わたし流解釈では、「諦観」や「達観」も、目の前の事実を直視して、さらにどうあがこうが、物事の本質は変わらない。
が、本質の解釈が時代により変わる。
本質は変わらなくても、善とみなすか、悪とみなすかでは大違い。
「大衆」って死語かも知れない。
SNS的大衆が新たに出現した?
一人一人の個が、バラバラにたくさん集まったもの。
俯瞰的に見ると、鳥の大群や、海魚の大群みたいな?
お一人様だけが集まる群みたいな?
(前に、お一人様専用の団体ツアーに参加したことがあるが、へんに納得した)

行き先が不透明ながら、「無常」が繋がって動くと不動になる同业存单???
こんがらがってきた、、、


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